基本情報
- 書籍|文庫判(A6)
- 190ページ
- 800円
- 初版2023/09/10発行
あらすじ
関西経済大学三年生の羽心歩(ハゴコロ アユム) には、誰にも明かしていない趣味があった。それは女装。
姿だけでなく、女声も出せて、歌唱力も高い。
彼の親友である浦松仁克(ウラマツ ヒトカツ) は過去に偶然その秘密を知り、歩にビジネスを持ちかける。
それは、女装ネーム――uraayu として動画配信サイトやSNS で活動してもらうという内容だった。
歩は複雑な心境を抱えながらも、大好きな歌手である浜崎あゆみの曲を思い切り歌うことができるとして承諾する。
最初は細々活動していくつもりが、プロデューサー・浦松によっていつの間にか歌の全国コンテストを
目指すことになる。
ミレニアム部門(2000 年前後の曲)でエントリーするが、活動していく中で、様々なライバル
が立ちはだかる。
uraayu は試練の末に何を感じ、何を学ぶのか。
※ご了承いただきたいこと※
本作には実在する人物の名前が出ますが、
ご本人が登場することはありません。生モノ(実在の人物を題材にしたジャンル) ではございません。
序章(試し読み)
由緒正しき学びの場が年に二回、群衆と地鳴りのような歓声で埋め尽くされる。灼熱の熱気が巻き起こり、若さとエネルギーに満ち溢れる大学生たちが、各々を表現し大勢の人々を惹きつける場。
『蓬生祭- autumn-』。関西経済大学が開催する、学祭の名だ。近畿圏屈指の人気大学で、テーマパーク並みの広さを誇る関西経済大学。名前の通り、経済学や経営学をメインとしている大学だが、人文系やIT技術等の学部等多様性に富んだ学部の数々が設けられている。群を抜くような偏差値の大学ではないが、高校生からの人気は高い。百年以上の歴史もあるため、知名度は申し分なく、ローカルテレビの報道陣もしばしば集まる。
多様性があると言えば、経営学部三年生である羽心歩(ハゴコロ アユム)も、その一人だ。
数日間に渡って開催される『蓬生祭』のメインイベントの一つ、『YOMOGI MIRACLE LIVE』。場所は大学敷地内の中心にある大きなホールで、日にちによって催し物は変わる。お笑い、落語、演劇、オーケストラ、バンド演奏等。主に部活やサークルに入っている学生たちが、日々の練習成果を披露する場所。
今日は音楽がメインの日だ。部活で言うと、軽音楽部やコーラス部、アイドル部などが主役になる時。舞台に出るには、部活又は大学に届け出を提出していて、認定されたサークルに所属していることが条件だ。人数は不問。48人でもよければ、1人でもいい。クォリティも不問だ。
ただし、プレッシャーに対する強い度胸が要求される。テレビ局やネットメディアが、放送や取材等のために来訪するからだ。毎年半端な気持ちでこのステージに立つ者はいない。学業の裾野を広げている関西経済大学は、近年芸術界や芸能界にも精通している。この舞台でのパフォーマンスをきっかけに、在学中又は将卒業後に芸能界デビューする学生は一人や二人ではない。
世の中には部員が一人のクラブもあれば、個人サークルだって存在する。
巨塔のような高音質のスピーカーから、賑やかで可愛らしい曲調のJ―POPの演奏が流れる。聴いているだけで、パステルカラーの流れ星や銀河が連想される、夢のある曲だ。国民的アイドルグループ、乃木坂46の曲らしい。
「ありがとうございました!」
学生服をベースにした清楚系のコスチュームに身を包んだ、7名の女子大生たちが、老若男女の観客たちに手を振る。その光景をもしアニメ化したら、ハートやスターといったキラキラしたエフェクトが画面を覆いつくすだろう。努力と汗の結歩が、人を惹きつけるオーラを生み出し、観る人たちの心をがっちり掴む。アイドル部による洗練されたパフォーマンス。色とりどりのサイリウムを持った男性陣を中心に、大きな歓声が沸き上がる。
舞台裏からその様子を覗いていた歩。幼少期にダンスの経験があり、並よりは緊張に強いタイプだ。それでも、心臓が震えて足が竦む。
大勢の人やメディアの前に出るからじゃない。先程のアイドル部のパフォーマンスからは、厳しい練習を重ねて精一杯努力し、切磋琢磨してきたことが窺えたからだ。たくさんの汗と涙を流し、倒れても這い上がって、歌い踊り続けたことが伝わってくる。
歩はたった一人、初めて約500もの人が見守るステージの上に立つことになる。共に頑張る仲間なんていない。互いに激励し合えるライバルなんていない。極めつけには、今日ここに来たのは半分自分の意志ではない。果たして、舞台に立つ資格なんてあるのだろうかと罪悪感に苛まされる。
スカイブルーのカラコンが入った両目を開け、顔を上げると、司会者がアイドル部を褒め称えるコメントをギャラリーに伝えている様子が見える。
「さあ、お次は今回の『YOMOGI MIRACLE LIVE』初舞台となります、uraayu(ウラアユ)!』
でも、一つだけ誇りに思っていることがある。
「彼女が今日歌ってくれる曲は、歌姫・浜崎あゆみの『evolution』!」
浜崎あゆみが大好きだという情熱。
浜崎あゆみの20枚目のシングル『evolution』。約20年前の曲なので、歩の年代では知らない人の方が多いかもしれない。先程のアイドル部と比べると、自分の知名度の無さもあってか、ギャラリーの盛り上がりは感じられない。だが、当時は一世を風靡した彼女の代表曲の一つだ。週間オリコンチャート1位を獲得し、ミュージックビデオで付けていた“しっぽ”という猫のような尾を模したアクセサリーは流行したらしい。
彼女の全盛期だと言われていた時代、自分はまだこの世に生まれていなかった。でも、物心がついたとき、親が観ていたライブDVDがきっかけで彼女を知る。
そして、こんな時代に生まれついた。
その奇跡を胸に、歩はステージへ続く階段を上がっていく。最上段、真っ暗闇の中、一人足を進める。ステージには仲間も友人もいない。uraayuとしての自分は最初で最後だという気持ちで、ステージの中心に立つ。
もしかしたら今の時代、ソロの若い女性アーティストなんて、時代遅れだと思っている人がいるかもしれない。テレビを見ていても、最近はすっかり少数派だ。
スローなテンポで、ピアノの演奏が流れ始める。uraayuは深呼吸し、肩の力を抜き、背筋を伸ばす。ピアノのメロディーが終わると、潤いのある桜色の唇を、マイクにそっと近づける。
♪la- lalalalala- lalala-
高い透明感と、芯の強さが同居した声。
暗闇の中のギャラリーの顔は見えないが、どよめきが伝わってくる。たった一声でも、思った以上に手応えを感じた歩の中の暗雲がかき消されていく。
穏やかな序盤と打って変わり、エレキギターやドラムの激しい演奏が流れる。“進化”を意味する『evolution』。過去の曲だと片づけてしまうのは勿体なさすぎる。今流しても、新時代を切り開き、進化し成長していくのに相応しい曲。
ステージに照明が全集中した瞬間、暗闇が引き裂かれ、浜崎あゆみを模した歩の姿が露わとなる。ミュージックビデオ同様、デニム素材のチューブトップとロングスカートを身に着けた歩。当時の浜崎あゆみの象徴であるショートカットと、腰に付けた“しっぽ”。艶めかしい肩。弾む音に合わせて照明が激しく点滅する。
実際ステージの上に立ってみると、観客として聴いている以上に音響は本格的で、ギャラリーは実際の人数よりも多く見える。友人に唆され、とある取引をしてここに立ってみたが、想像以上に腹が竦んで肌がビリビリ痺れる。緊張というより、プレッシャーが凄まじい。
でも、立ったからには精一杯歌い切りたい。大好きな浜崎あゆみを聴いてほしい。
点灯された照明のおかげで、ギャラリーの顔がはっきり見える。昨年は自分が聴く側だった。大学の雰囲気を確かめに来た高校生や、同年代の大学生の割合が多いが、老若男女万遍なく居ることが分かる。やはり世代なのだろうか、30より上だと思われる歳の人たちが、積極的にリズムに乗ってくれている気がする。自分と同世代ではない。浜崎あゆみの全盛期と言われていた時代のことは知らない。
だけど、嬉しい。プレッシャー以上に、20年前の曲を今こうして共有できていること。映像でしか見ることができなかった世界を、疑似的であっても具現化できていることが堪らなく楽しい。
音楽の流れに乗ってAメロを歌い、Bメロで溜める。
機械的で先進性が感じられる演奏。歌詞は人と出会えた喜びを最大限に表現していて、ヒューマニズムな側面が強い。
かつて日本中のメディアから毎日のように流れていた、特徴的なサビに入る。訴えかけるように、力を振り絞って、腹の底から歌声をホールに轟かせる。
笑顔が出るほどの余裕はないが、歌うことが楽しい。憧れの歌手のコスプレをして、大好きな曲をこんな広大な空間で、多くのギャラリーの前で歌えることが楽しい。
約4分半。全身全霊で歌い切ったuraayuの瑞々しい肌に浮かぶ汗とラメ。やり切った達成感から浮かぶ笑顔。照明だけの力ではなく、歩自らが光源となったような眩しさ。
歩は『YOMOGI MIRACLE LIVE』の常連でも何でもない。お一人様サークルを形式上立ち上げたに過ぎない。
ホールが割れんばかりの歓声と拍手で沸き上がる。こんな経験は生まれて初めてだ。歓声の中には、浜崎あゆみの愛称“Ayu”という声もはっきり聞こえた。自分も一人のAyuのファンに過ぎないが、そう呼んでもらえたことは、心臓が引き締まって喉が張り裂けそうになるくらい嬉しかった。
「ありがとうございました!」
感謝の言葉以外何も出てこない。初めて味わう、脚が震えて立っているだけで、精一杯になってしまう感覚。思い切り良く行動したという達成感。浜崎あゆみの曲を響かせたという手応え。
今日は出演者が多く、ステージインタビューは無しのため、歩は早々に舞台裏に移動する。
出演者たちや学祭スタッフたちが慌ただしくしている中、uraayuは人目を気にしながら、飛び込むように楽屋代わりの仮設テントに飛び込む。同時に二つの背徳感が圧し掛かる。
一つは、ステージ前から気にしていた、周りの出演者との温度感。正直、出演者たちがこんなにも本気で毎年舞台に立っているとは思っていなかった。観客として鑑賞しても、情熱は確かに伝わってくるのだが、間近で見ると彼らの目の色が違うことがよく分かる。学祭でグランプリを取るために日夜練習に励んできた人たちと比べると、自分が舞台に立った動機は純粋なものではない。
もう一つ。それは自分が男だということ。
申込書には男女を選ぶ欄がなかったので、運営委員会はもちろん、ギャラリーにもその事実を明かしていない。明かす必要もないが、大舞台で女装姿を披露したのは初めてなので、何となく多くの人を欺いてしまった気がしないでもない。反対に、それが女装の愉しさの一つでもある。
自分を唆した友人の助けを借りながらメイクを落として着替えを済ませた歩は、キンキンに冷えたスポーツドリンクを喉に通して、頭と体を冷やす。一度きりのライブステージ。
明日以降、観客たちを賑わせ彗星のように現れた、浜崎あゆみの偶像は幻となって消える。
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未定
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