基本情報
- 書籍|文庫判(A6)
- 282ページ
- 700円
- ハイファンタジー
- 初版2015/05/04(月)発行
あらすじ
大陸の三勢力――帝国、教皇領、魔族。
帝国に住む薪屋の青年――ラファエルは平民ながらも、以前兵士として戦っていた母親の影響で人並み外れた剣術の腕を持ち合わせていた。ある日、彼の幼馴染であり帝国の姫でもあるエリスが城を抜け出し、ラファエルの住む田舎町で王族のパレードが開催されることを伝えに来る。
しかし彼らは、長年平和に治められていた帝国の水面下で黒い計画が動いていることに気づいていなかった。魔族による襲撃でパレードは惨劇と化し、提携国である教皇領も巻き添えに三つ巴の戦争が始まる。
エリス姫を守るために己の剣を振るうことを決意したラファエルが奮闘する、剣と魔法のファンタジー小説。
序章(試し読み)
帝国最南部――“迷霧の森”。灰色の霧が針葉樹林に絡みつくように覆いつくしている。戦死した人間や精霊たちの怨念が濃霧に化けたらしく、侵入した者は永久に脱出することができないという。
森の前に三人の男が佇んでいる。二人は白銀の甲冑で全身を覆い、もう一人は金色の刺繍が施された、カフスつきの外套を羽織っている。歳は三十ぐらいだろうが、明るい金髪と微笑みは少年を思わせる。
「おい、あれをよこせ」
外套の男は甲冑姿の男からハンドベルを受け取り、力いっぱい上下に振る。大きな音が鳴り響き、頭の芯まで震わす。
「魔族首領――クルーエル=バッハに告ぐ! 私は帝国貴族のイヴァン=フィヨルド。話がある。聞こえているなら出てきてほしい」
落ち着きがありながらも大きい声でイヴァンは言う。
森からこだまが返ってくる。イヴァンの声色だけでなく、数多もの人の声が重なっている。掠れた声や金切り声、奇声も混じっていた。
甲冑姿の男二人は互いに青ざめた顔を見合った。
「イヴァン様、やはりここは危険ですよ。城に戻りましょう」
「そうですよ、魔族なんて何をしでかしてくるかわかったもんじゃないですよ」
魔族とは人間たちに忌み嫌われる精霊たちの総称である。人を襲ったり食ったりする種も存在する。
「ここまで来て何をいまさら。門は叩かねば開かん」
しかし、何事も起こることなく、森の濃霧は相変わらずただ蛇のように木々に絡みついたり漂ったりしているだけだ。
「特に変化はありませんね……」
「ベルの音が聞こえなかったのでしょうか。この森の先がどうなっているかは我々人間にはわかりませんし」
「たしかに。この森を自由に行き来できるのは魔族だけらしいしな……」
イヴァンは二人の会話など気も留めずただ腕を組んで黙っていた。
そのとき、突然一本の木に生い茂っている葉が獣のように激しく揺れ始めた。
「んっ?」
三人は抜刀し、腰を低くして身構え、全方向に細心の注意を払う。
「ふっ、ようやく応えてくれたかな」
イヴァンは鋭い笑みを浮かべながら、揺れ動く木を鷹のような眼で睨みつける。
その揺れは伝染するように他の木にも起こり始めた。風が吹いていないにも関わらず、木々はまるで嵐にさらされているかのようにざわつく。
「イヴァン様、気をつけてください。何か来ま……ぐあぁぁぁ!」
ざわめく葉の中から放たれた豪速の矢が甲冑兵士を貫いた。血飛沫とともに苦痛の悲鳴が森中に響き渡る。
「く、くっそぉ! 出てきやが……れぁぁぁ!」
鋼鉄の矢がもう一人の兵士の肩に命中した。
二人は苦悶の表情で地に膝をつく。
「ほう、鉄の甲冑をいとも簡単に貫く矢か。おもしろいぞ、クルーエル!」
イヴァンが口元をさらにつり上げると、暗い森の中から雨のように数多もの矢が放たれた。
「初対面でも容赦はないか」
イヴァンが両手の剣を前に突き出し、呪文を素早く詠唱すると足元から太い氷の柱が出現する。ほとんどの矢が氷柱に突き刺さり霜を纏って凍結した。流れ矢は甲冑兵士の全身に刺さり、二人は真紅の血を垂れ流しながら無惨な姿と化した。
「まったく……、派手にやってくれる」
イヴァンがため息をつくと、森の中から足音が耳に入ってくる。それは一歩一歩がゆっくりで、巨獣のように重々しい。イヴァンの方に近づくにつれ、黒い巨漢の影がうっすら窺われる。
「お前がクルーエルか?」
大男が姿を完全に現すと、彼は低く厚みのある声で返答する。
「そうだ。我が魔族首領――クルーエル=バッハ。帝国の貴族が我に何の用だ?」
魔族といえども風貌は初老の人間の姿だ。傷だらけの厳格な顔だちが紛れもなく首領だということを感じさせる。闇夜のように黒いケープを身に纏い、片手には常人では持つことさえかなわないような、見るからに重量のある大剣が握られている。
「挨拶だよ。なにせ魔族の軍を結成したと聞いたもんでね。お前たち魔族には元々協力し合うっていう概念がないから、結構大変だっただろう?」
「……貴様、その情報どこから得た?」
「それは言えないな。今日私が来たのは――」
突如イヴァンの足元から鋭利な金属の針が何本も隆起し始める。それに気づいた貴族は反射的に地面を力いっぱい蹴って後退し、甲冑兵士の二の舞を避けた。
魔族首領がケープを広げると、追い討ちをかけるように黒鉄の矢の群れがイヴァンに狙いを定め飛んでいく。
貴族は別の呪文を素早く詠唱する。みぞれ混じりの冷気が発生し、彼の身を包む。矢は獲物を仕留める前に氷片となって全て砕け散る。
「待て、そう攻撃的になるな」
「……貴様を生かして帰すわけにはいかん。貴様ら帝国はまたそうやって我ら魔族を殺すのだろう……! そうはさせん! 長年虐げられ追いやられてきた恨み、我が軍をもって晴らしてくれる……!」
宙に舞う無数の破片の中から、漆黒の大剣を振りかざしたクルーエルが猛牛のような勢いで現れる。
「私はお前たちを殺しに来たんじゃない!」
イヴァンは二本の長剣で間一髪斬撃を受け止めたが、あまりにも強力ない衝撃に体が吹き飛ばされる。
「協力を求めに来た!」
貴族は二本の脚で踏ん張りそう叫ぶと、クルーエルの追撃が止んだ。
「協力……だと?」
厳格な疑わしい目つきで首領は大剣をゆっくり下ろした。
「ああ、実は私は王権を狙っている身でな。お前たちの手助けが欲しい」
「……どういうことだ?」
「率直に言う。帝国の王と妃の殺害を頼みたい」
「……!?」
ナイフのような形をしたクルーエルの眼が一瞬卵のように丸くなる。
「貴様、何を考えている? 帝国の王は貴様らの国では絶対的存在……。ましてや国の政治を担う貴族が……。なぜだ?」
「ふはははっはっはっは!」
イヴァンは首領に背を向け、灰色の空を見上げながら高笑いする。
「私は自分の手で帝国を創り直したいのだよ。だが、どんなに熱心に政策を練っても、どんなに平民のことを思った法律を提案しても、それらは全て握りつぶされてしまう」
クルーエルは警戒を解くことなく黙って聞き続ける。
「政策や法律の執行には必ず王の許可がいる。そう、結局は王の判断で全てが決まってしまうのだよ。貴族で一番支持率の高いこの私の意見も無駄扱いだ!」
剣を握るイヴァンの手に力が入る。
「ろくに何もせず、ただのんびりしている平和ボケしたあの王こそがいずれ世を滅ぼす悪の根源。だから、お前たち魔族だっていつまでたっても忌み嫌われる存在だと認識される」
クルーエルの鋭い眼差しがより真剣になる。
「……互いの敵は共通している、とでも言いたいのか?」
「ああ、そういうことだ」
「だが、王の決定は世襲制……。王族でない貴様は王になる権利はない」
「それが違うのだよ。今なら実質的になれる」
「……どういうことだ?」
クルーエルは構えをとかないが、イヴァンの話に完全に入り込んでいる。
「王には二十歳の娘がいるが、王族の自覚がない遊んでばかりの馬鹿者だ。現王が急死した後、その娘がいきなり帝国の王としてやっていけると思うか?」
「無理だろうな」
「その通り。この場合は法律によって、貴族の中で一番支持率の高い者が王権を得ることができると定められている。すなわち、私のことだ」
得意気に説明するイヴァンに対し、クルーエルは睨むように険しい表情をする。
「ただ、それは確実なんだろうな?」
「ああ。お前たちがちゃんと殺害を成功させてくれればな」
「だが、その娘が成長したらどうなる? まさか王権は取り消され、また今のような状態になるわけではあるまいな?」
「安心しろ。一度握った王権は譲らない限り、死ぬまで保持される。私が死んだ後には元の王族家系が継承していくだろうが、安心しろ。王権を持っている間に帝国の体勢を完全に変えてやる。お前たちも助けてやる」
イヴァンの目は燃えるように決意に満ち溢れていた。
「そうか……。だが、そこまで言うのなら“魔の契約”を結んでもらおうか」
“魔の契約”とは、ごくわずかな魔族のみが使用できる貴重な魔法だ。約束を交わすと互いの二の腕に消えることのない痣が刻まれ、人間は約束を破ると自動的に体が四散する仕組みになっている。解除するには約束を果たすしかない。
「ああ、もちろんその覚悟で来た」
クルーエルは地面に転がっている矢を一本手にして貴族の眼前に立つ。
「……契約内容はどうする?」
「帝国領土の三分の一をお前たち魔族に与える。王権があればこういったこともやり放題だ。もっと住みやすい世界を構築することを約束する。お前たちが暗殺を成功させてくれたらな」
「いいだろう……。だが、我々にまさかあの堅牢な帝国首都城まで行って殺害しろと言っているわけではあるまいな?」
「ああ、それなら心配無用だ。一週間後に首都外れの田舎町――“シルフ”で王族のパレードがある。そこが絶好のチャンスだ。もう一度言うが、今の帝国は平和ボケしていて油断も隙もあれば、護衛の兵もなまっている。これを逃すな」
「了解した……。我々魔族には殺害に長けた者が多くいる。好機は逃さん」
クルーエルは人間には理解できない呪文を詠唱すると、赤紫のオーラが発生し二人を包みこむ。イヴァンは剣と外套を捨て、上半身を裸にする。
クルーエルは無表情で手にした矢を自らの二の腕に差し込み、複雑な模様を刻む。さらに、暗色の血液に染まったその矢をイヴァンの二の腕に差し込む。
「ぐぉっ……!」
皮膚に溶岩が降り注いだような熱い激痛が貴族を襲う。全身からどっと汗が流れ、その場から逃げ出したくなっている足を必死に留まらせる。
「“我ら魔族は王と妃の殺害を行い、貴族イヴァン=フィヨルドは王となり自由と領土を我らに与える”……」
クルーエルは手を止めることなく坦々とイヴァンに模様を刻みこむ。
苦痛に満ちたイヴァンの目は開ききり、大きく開いた口からは声が出ない。
「契約完了……」
首領が矢を抜くと、イヴァンはその場に倒れ、なおも激痛に悶える。二の腕には赤紫色の刻印。血は一滴も流れていない。
「しばらくすれば痛みはなくなる……。暗殺は必ず成功させる」
クルーエルはそう言い残すと漆黒のケープを翻し、濃霧の中に消える。
苦しみながらもイヴァンは笑みを浮かべていた。
“迷霧の森”がざわめく。
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